今住んでいる家を家だと認識したとき、そこには必ず幽霊がいるはずだ。
その証拠に、私が今住んでいるアパートの一室も、前に住んでいたコンクリート壁の寮も、私は部屋と呼んでいるから幽霊は出ない。そのかわりごきぶりという現実的な害虫が、気配を毎晩六畳間の押入れと棚のすきまや、シンクの底あたりから漂わせて、私を怯えさせる。この害虫は私の掃除の行き届かなさと、安い家賃の古い部屋に我慢して暮らしている(本当は綺麗なバスタブとピアノが置けるくらいの広間が欲しい)小さじ程度のみじめさを、じわじわと責め立てる。あああ、自分の怠惰と至らなさにつけ込む醜悪な虫。虫の妖怪。妖怪だから2ミリの隙間で部屋を住処に変えられる。
気配と、住処にしていることで気味が悪い点は、幽霊と同じだし、そうじゃなきゃ奴らの存在は確立しない。
私は幽霊を見たことがない。勿論、取り付かれて悪いことが起こったり、祟られたりすることはないし、彼らが半透明なのか、喋れるのか、そもそもコミュニケーションがどれくらいとれるのか、そういうことも解らない。それでも幽霊はいるはずだ。幽霊が視覚を伴わずに現れるとすれば、私は家で変な音を聞くし、よくわからない匂いをかぐこともある。大体、幽霊を見ない人というのは、きっと頭が固いか、私のように頭の中がせわしなくて自分の考えていることで精一杯な人間に違いない。幽霊がいても気づかないたちなのだと思う。
とにかく、幽霊は家にいる。その家には家庭があって、日々生活をして笑ったり怒ったりしていて、たとえば天井の木目が老人の横顔のように見えたり、母親に怒鳴られるときは必ず床のしみを見つめて数をかぞえたりすることをしている。そういうのが家だし、それは人が住み変わったり、空き家になったとしても変わらない。住んでいる人が、それぞれの家の住み心地を見つけて、家に伴う感触が身体に記憶されれば、私たちは幽霊を感じることができる。