なんとか、人形教室でずっと作ってきた80センチほどの人形も完成が近づいてきました。
今日は手製の樹脂でできた目玉も完成。顔にいれると写真のように。
あとは軽く全体を磨き、塗装して髪生やして(もちろん人毛です!)、組み立てればOK.
名前は・・・どうしよう。
魅惑の美女として誕生させたい!
以下ひかれそーな観念的な制作メモ
人形=8歳~13歳の永遠の少女でなきゃ、という思いもありましたが、ここ数年それだともうありきたりだし、自分の中でひとまず置いてきてしまった事柄なので、この子は私の固執する憧れの現在的な形なのかな。
私が物心ついたころから、私を導く女神様みたいな(笑)存在がずっとイメージの中であって、彼女にわたしは「ローズちゃん」という名前をつけて(再び笑)、その子のためにたくさんお話やマンガを書いてあげたし、私はローズちゃんのような格好(ツーテールで、ピンクのハートがついた可愛い洋服を着ている)をしたくて、親に少女趣味な洋服とハートのついた飾りをねだったし、ローズちゃんはとても賢く博学なので、頭の良い人になるのが目標でした。
要するに、完全無欠のお姫様のような子なので、私もその子のようになりたい思いもありました。ローズちゃんは最初の設定では8歳です。私は6歳から9歳ころまではローズちゃんの時代でした。・・・あはは。
その後、私はラブコメよりも戦う女の子が好きなので、小学校高学年のときは皐月ちゃんという女の子が登場しました。この子もツーテールですが、赤毛で、日本人とロシア人あたりのハーフです。さらに大正ロマンな着物(和洋折衷のドレスみたいな)を着てて、剣術も心得ています。さらに彼女は15歳か18歳なので、普通に恋もすればセックスもします。強くも妖艶な少女です。要するにこの子は私ができないことはすべて出来ました。・・・あはははは。
その後価値観は紆余曲折しつつ、こんな妄想の女の子は20歳で完全に私の中にいなくなってしまいましたが、居てくれて私を導いてくれたら迷いもないのになあ、と思うこともありますけどね。まあ、いなくなったことで私は女の馬鹿さがなくなったというか、世界という他者を受け入れられるようになったというか。成長したというやつです。
じゃあ、今作っているこの子はなんなの?と考えてみたときに、私の美意識をかき集めただけの不完全な空洞かもしれない、という不安もあります。素敵な人形作家の作品には空洞はありません。作家の意識は表層にこびりついているし、中心にはかならず(過去未来も含めた)誰かの魂たちが居座る場所だからです。ひとがた、という役割に徹した人形、美しい人形、時間を経た人形こそ人形足りえる、というか。
私は私の信じる永遠の少女がいれば妄信できるはずなのだけど。
ご存知のように、人形を作っている人は精神を病んでいたり、苦労人が多いけれど、彼ら彼女らの作る人形は少なくとも尊厳があることを忘れちゃいけない。それ以上でもそれ以下でもない話ですけどね。
私は人形に託すべきことがなにもないのでは?
私の美意識や趣味は生きた人間に対してアプローチしなきゃ意味ないのでは?
私が作ろうとしているのは人形ではなくてマヌカンに近いんじゃね?
この子の赤毛、細いウエストやこけた頬や鼻筋は誰に似せたんだっけ?
人形は作った人間に似ているというけど、この子は私に似ていない。
かといって、私の子ども、というわけでもない。
ああ、この子は誰なんだろう。
軽薄さを出したい、というのが最初からあったし、顔は好きな女優やモデルを参考に、自分の好みで当然ながら作っています。私は誰になりたいのか?ということと、別にそんなことはどうでもいいかも、ということを考えながら。
でも、(人形制作という手仕事が不器用で不得手ということは置いておいて)2年前に人形制作を始めたのはずっと持ち続けているこれらの疑問、というかコンセプトのためだし。
頭がごちゃごちゃしてきて収束がつかないけど、この人形は曖昧な人形だし、付随するイメージや物語はなにもない。ただ、髪と瞳が燃えていてほしい。
もちろん私の好む美しさを持っていて欲しい(私の努力次第だけどな!笑)けど、漠然とした多くのもの、疑問とか謎とかいろいろなことを、少しでも覗かせてくれれば、という気持ち。
・・・まあ、人形制作は作業性が強いので、作っているときは雑談猥談とごちそうと猫に囲まれてのんびりしてるんだけどね!
話は変わって、龍師匠がマリアの心臓で今日から開催されたアリス展に出す新作を仕上げているんだけど、急ピッチなので「これで大丈夫かなあ・・・」と不安そうで、私に客観的な意見を求めてました。
私の意見参考になるかどうかは置いておいて、年季の入った作家でも、自分の作品は常に客観的に見れないから難しい、という話。
作品創作においてそれが出来るって重要なことだけど、はてそれを自分の顔かたちで考えてみたときに、おもしろいなあ、と思う。
人間自分の声聞くと恥ずかしいのと同じで、死ぬまで自分の姿(美醜とか)は客観的に見れないだろうな。でもその不可能さが限りない可能性を秘めているような気がする。
こないだばぐ主宰ムネカタに、「メイクしやすい・しにくい顔、およびメイクしがいのある(やっていて興味深い)顔ってどんなの?」ときかれて考えこんでしまったけど、少なくともメイクしがいのある顔は自分の顔だなあ。誰にとっても。
この発見を仕事したときに生かせる人になりたいです。
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