2010年1月29日金曜日

つづき、

そうそう、ヘアメイクの勉強をはじめます。仕事にするつもりで(あっさり)。
あまりにも突発的なのでまだ相方にも両親にも言ってないや!笑
金銭的に不安はありますが、奨学金をとってなんとかしていきます。文化のほうもがんばって卒業はしなきゃね。
4月からかなり忙しくなるなあ。公演のある7月あたりが怖い・・・
今年はうちりが再生の年であります!今年入っていままでのぐだぐだした気分が不思議と抜けるし、睡眠時間もいい感じに減ってきてるし、頑張れそうな気がするなあ。

まあその話は置いておいて、こないだのボイスのおっさんの展示見て、妙に腑に落ちた感じがあって。自分の話にはなりますが、私の持つ欲望は、「対社会」において何かしなければいけないし、なるべく多くのことを見聞して学ばねばいけないということと、「対自分」の、ひたすら楽しくて可愛くてしょうがない世界観というものを死ぬまで持ち続けて表現したい欲の2つが双璧であるんだよなあ。
(だから、私が大好きなアーティストは誰と聞かれて、ついついtori amosって言っちゃう。知ってる人はご存知の通り、感情的な曲構成でヒステリックなまでにあがっていくボーカルであると同時に、被レイプ経験を発端に、社会を常に冷静に現実的に見つめる姿勢で曲を書いてる。)
だから今まで、そのどちらに対しても中途半端にしかできないから(しかも社会に対してまだまともに労働してないしねえ)かなり悶々としてたし、たとえばアーティスティックな連中の中にいて楽しいだけでもの足りなさを感じたり、お堅い、賢い社会人の話を聞いて不自由さを感じたりして、「ああ、私はどちらにもいけない面倒くさい奴だなあ~」とここ数年思ってたんですよね、実は。そして私はそのどちらも全うできる人生でありたい。
そして、創造的に社会を生きられる「豊かさ」みたいな尺度を皆が持てればいいと思うし、文化の水準向上だけでなくて、資本主義経済の中で「優しさ」の概念が出てきそうだし、持続可能をもっと進められるだろうし、戦争は経済と切り離されて減って行ってほしいし、そんな感じ。
世の中、1つのことをストイックにやってきたプロフェッショナルをもてはやす傾向があるけど、そういう人だけでなくて、バリエーションの豊富な人(いろんな仕事をやってきたり、いろんな国に住んできたり、枠にはまりきらない人)がもっと活躍してほしいと切に思っていたりする。人間って、他者を知ることでこそ新しいものが出てくるでしょね。

2010年1月23日土曜日

ボイスのおっさん



会期終了間近に水戸芸術館でボイスの展示を先日みました。
展示の焦点は84年の8日間の来日。
芸大での講演映像が公開されていて、これがかなり面白い。

・社会や政治や時代、つまりは資本主義と戦っていく芸術家の彼は、いわゆるオーソドックスな、自己表現、審美型のアーティストたるアーティストを「子供の領域を出ない」ものだ
・医学や科学に携わる人間と比べれば芸術というのは楽なもの
・社会において創造性を発揮し、よりよい社会を作るプロセスにおいては芸大生よりも西武の社員のほうが実践している
・芸大というのは国立大で、つまりは国家、政府によってつくられている機関だから、そのことに対して批判的であるべき

などなど、手元に資料がないのでほんの一部ですが、こんなことを美術の勉強に日夜励んでいる秀才芸大生の前で朗々と語っていて、質問する学生は半ばキレ気味。笑
「ボイスは過大評価されている」なんて紙があったり、かなりの賛否両論ぷり。

84年だから、自分は生まれてなくて、バブルの前で、ソ連も崩壊していないから共産主義やマルクスの階級闘争についても言及している。もう26年も前のことですが、この講演が今現在行われたとしてもそんなに古くは感じないし、同じような反応が返ってきそうな感もある。
まあ今は社会や資本主義や街(コミュニティ)を主体とし、私たちがコネクトできるようなアートがさかんに行われてはいますが、一個人としてのアーティストの活動原則は、社会型と表現型の間で常に揺れ動いているんじゃないかと思います。

周りの人間に聞くと、ボイスに影響を少なからず受け、自分対社会の距離を常に考える人と、こいつのせいでアートがめちゃくちゃになっているんだと考える人の2つに結構分かれます。ちなみにbug-depayseは前者だなあ間違いなく。

ボイスは基本的に、もはや芸術はいわゆる芸術としての表象物ではなくて、すべての物事に対する創造性およびそれによる社会変革だと規定していて、私はこれに対してまったくその通りだと思うし、そうあるための人生ではなにをすればいいのか、日々悶々とするしがない23歳だと常に自覚はしてるんですが。

まあ、ボイスの作品を考えたときに、もはや活動家(言論先行という意味でも)の彼のアクションがあくまで作品として展示されたり発表されてそれが美術品の金銭的価値を生む矛盾、作品は行為であるゆえに他者でも遂行可能であり、その思考を知ることで鑑賞者に能動性を与えると同時に、その形態自体が安易な芸術作品を現在あまりにも多く出してしまっている功罪があったり、多くの可能性と限界を一度に感じてしまいます。

とりあえずつづく

2010年1月15日金曜日

1/10のパフォーマンス

二パフ以来の知り合いの関谷泉さんが、隔月で以下のような企画を行っていて、こないだから参加している。

開催方法 
参加者集合後、解散。各自駅周辺を散策後、街に対してひとつプレゼントをする。(例、パフォーマンス、清掃、飾る、見つめる、などなんでもOK) 町にプレゼントを届けた後、街からプレゼントを受け取る。(例、吸殻、雑誌、拍手、などなど)
参加者、再び、集まり、各自のプレゼントを発表。(映像、口頭、記録なんでもOK)

路上でのパフォーマンスは、自分の場合、常に即興的で習作的ではありますが、パフォーマンスをつづけていくことは大事なので、また多少なりともメンバーでパフォーマンスの議論もできるので、有意義だったりします。
こないだは10日に井の頭公園で行いました。

うちりのパフォーマンスについて:

「would be woods」
即興的に、しかし自然に逆らう立場の人間であることを忘れずに、木になりすます(擬態する)パフォーマンス。
1、適当な、箒サイズの枝をマテリアルとする。
2、箒として、枯葉を掃除していく(造園作業)
3、その箒と集めた木の葉に埋もれて、木をカモフラージュする。
4、木の気分になって、人を観察し、風にふかれ、空を仰ぐ。

関谷さんいわく、シャーマニックなパフォーマンスに見えたそうですが、私としては自然に一体化するのではなく、あくまで擬態している立場かなと思いました。

この日はなおかたひらさんもパフォーマンスを行いましたし、関谷さんも缶を鳴らしていました。
行為がさりげなく行われている街角は好きです。

bug-depayseよりおしらせ

わたしの活動主軸である、bug-depayseよりお知らせです。
以下、主宰宗方より


お元気ですか?
2010年7月に上演するbug-depayse作品「kemuri]の概要、及び参加募集のPDF書類を
送らせてもらいます。是非御一考ください。
もし興味のある方や、参加希望の方がいらっしゃいましたら是非、宗方宛てにご
連絡ください。
そしてできれば、お知り合いの方などに、この概要を投げていただけたら有難い
です。

ご協力お願いします。

宗方勝



http://www.bug-depayse.org


夏にシアターバビロンの企画に参加させていただくことになりました。
苔以来の舞台作品になり、メンバー+数名での創作を考えております。
あまり広く募集するわけではありませんが、ダンサー、役者、パフォーマンスアーティストなどの若干名の出演者を探しているところです。ジャンルや経験にはあまりこだわりませんが、今回の企画のコンセプトである「戦争」から、パフォーマンスを作ります。毎回のとおり、様々なジャンルが等価にミクスチャーされた形態になりますし、参加者それぞれがコンセプトや各々のアイデアに対して、柔軟で自由なクリエーションができたらいいなと思っています。
わたしもひさびさに出演しますぜ!思う存分作りたいと思います。
少しでも興味をもたれた方は、わたしや主宰までご一報いただけると嬉しいです。

まんじゅしゃげちゃん



そうそう、私の通ってる人形教室の、木村龍師匠の新作が展示中。
マリアの心臓にて今月末まで。
http://www.mariacuore.com/

写真は完成直前のもの。
この赤い髪がねえ、すごくいい色してるんですよ。
たいとるはまんじゅしゃげ(漢字出ない)
龍師匠の作品には物語の美しさがあって、オブジェクトに対して愛着と執念を常に感じさせてくれます。そして作品に対する思い入れが強いほど、作品自体の硬質さが際立ってきます。
わたしは展示をまだ拝見してませんが、たのしみ。

2010年1月6日水曜日

レベッカ・ホルン


東京都現代美術館でファッションの展示およびレベッカ・ホルン展を拝見。

ラグジュアリー・ファッションの欲望?でしたっけ。思ったほど点数が少なく、コンセプトが際立った展示ではないのですが、服をまじまじと鑑賞するのは(勉強している身でなくても)楽しめるものです。触れないのが残念だけどね。
宮廷衣装(生地が色褪せても、刺繍のよさが際立ってます)から、20年代のポワレやシャネル(今着ても全然古く見えないデザイン)あたり、最近のバレンシアガやらV&Rもありました。
ギャルソンとマルジェラも(製作時間に注目すべし)。
アイデアと構成力に加え、技術がないと服って作れないんだよねえ・・・
と、授業でのパターンやら縫製の手が回らない苦しみを思い出しつつも、心地よい刺激をもらう。
ファッションなんて、今はお金がまわらなくてラグジュアリーなんて言ってる場合じゃないですが。
これだけ美しくて自由な作品で世の中は溢れかえっているのに、ファッションはアートと同じだけどアートではない、ということがひとつの前提としてある、と考えてます。
経済活動と虚栄心でもって、実質的に、即物的に価値をもつということだけでなく、ファッションのデザイナーのもつ神経で必要なのは、作った作品あるいは商品を包括的な他者や世界に向けるのではなくて目の前の一個人の他者を意識し、愛せねばならないことだと思います。


レベッカ・ホルンですが。
一押しです。
角をかぶったパフォーマンスの女性ということしか知らなかったんですが、作品は機械仕掛けのインスタレーションを中心に、映像も(パフォーマンスだけでなくドキュメンタリーや映画らしき作品も)豊富で、もう一度見に行かねば、という感じ。
かあっこいいんですよ。なんとも気持ちいい展示。

羽根や角というモチーフも含め、作家性はずっと一貫してる感じですが、メディアを自身の肉体から機械インスタ、映像までどんどん拡張できるのは、やはり彼女自身のポエジーの強度だと思っちゃいますが、それってやはり女性ならではの魅力と捉えるのか。。。
まあそんなことはどうでも良く、シンプルにゆっくり無駄なく動いて行くインスタには、私には珍しく、共感や熱狂とは異なる心地よさと自由さを感じています。

2010年1月5日火曜日

四次元怪獣ブルトンとか


最近はウルトラマン(初代)を観てます。

男らしい感性がないと楽しめないだろうなあと今までは敬遠してましたが(怪獣はぼこぼこしてて不細工だから)、エヴァに出てくる結晶の使徒(ラミエル)がプリズ魔というウルトラ怪獣の効果音を使ってるらしく、実物を調べたらすげえかっこよかったので、思い直しました(エヴァのやつも相当気持ち悪くて好き。レリエルとかいう球の奴も)
そういえば小さいころにスーファミでウルトラマンの格闘ゲームがあって、中でもブルトンが強くて気味悪く、本編の映像も摩訶不思議な空間に移動するシーンを見たことがあったのが今になって気になったのもあり・・・。あと、ミシェル・ゴンドリー作品の手作りっぷり(アナログ作業と特殊効果の奇妙な混じりあい)って、元をたどれば特撮だよねえ。。。
ちなみにガンダム(初代)も最近観てます。これで世の男性と共有できるネタを2つ手に入れたことになります。特に3,40代の人とも仲良くなれるんじゃないかと思います。

で、ウルトラマンですが。
いままでファンの気持ちがさっぱりわからなかった自分が馬鹿でした。
ものを作ってる人、映像のみならず、特にアニメ(3D駆使してる系も手作り派も含め)とか、グラフィックやっている人は観なきゃ損だわー。観てると思うけど。
男の子だけじゃなく、女の子も楽しめますな。
かわいくておしゃれでヌーヴェルバーグもオカルトもレトロヒューチャーも手作りアニメのぬくもりも、全部入ってますぜ。何気に。
素晴らしさはなかなか表現できないのでここらへんでやめときます。

まだ数話しか見てませんが、ブルトンが好きです。
顔がなくて隕石がでかくなっちゃってて、赤と青の二色でホルモンみたいにプルプルしてて、クレーターからアンテナが出て、画像のとおり、怪獣のくせに顔がないのが最高です。
しかもこいつ、この身体でアンテナを使って人とか戦車をワープさせるんですぜ。クール。
本編でもちゃっちいエフェクトのオンパレードで、宙に浮かせてる糸見えてるし、毎回ながら光線は全部手書きだし、ウルトラマンは高速回転とかして倒してますし(基本的にアクションが力道山)、一瞬出てくる謎の風景とかシュルレアリストのオブジェそのまんまだし、役者は茶番の演技だらけだし、楽しさと気味悪さと感動を一気に味わえました。
バルタン星人もオカルト風で、建物の中で分身したりして気持ち悪いですよ。しかもバルタン20億人くらい円盤に乗ってますし。バクテリアサイズで(ウルトラマンが破壊してました)。
やつらは分身もサイズ変更もかんたんにできることをはじめて知りました。

すばらしいね~